和田blog/1995②

Memories of 1995(創業前)

不動産業に転身

1990年12月。30才、バブル景気の真っ只中、東京西新宿に本社がある大手不動産会社の最終面談を受けに来ていた。東京に来るのは3、4回目くらいで、建ったばかりの都庁を見上げると、「スゲー!でかすぎて首の痛とうなるばい。」と思った。そして驚いたのは、地面の上の空中にも地面(違うけど。)があって二層になっているのが未来都市のようだと思った。それくらい田舎者だった。当時自分は、ホンダの子会社のディーラーで車の販売をしていて、バブル景気もあって良く売れた。郊外の販売店勤務だったので、バブルの熱狂ぶりはあまり感じていなかった。それでもの日本初のスーパーカーと言われたNSXが発売されたときは、高額なのに沢山の注文が入り抽選となった。実はこの頃、もう車は売りたくないと思っていて理由はたくさんあるけど、「お客様は神様」的に理不尽な事を要求される。加えてスポーティーカー専門のチャンネルだったので、お客さんは年下の若い方が多くて勉強にならない。もっと高額商品を売りたい、華やかで羽振りがいい不動産業界に転職したいと思っていた。

12月下旬、受かった!年の瀬も近い頃、引継ぎが終わり次第退職したい旨を店長に伝えると、社長に呼ばれて「ふざけるな、今まで育ててやったのに、今すぐ辞めちまえ!」と言われた。悔しかった。福岡の赤坂店勤務だった頃「何某店の立て直しをして欲しい。」と言われ頑張った。朝礼に社員が全員揃わないような店で、後輩の指導と、店長&営業とサービスがいつもギクシャクと対立していたのでその調整、嫌われ役をやりながらも成績は常にトップでいた。今から思えば、私に至らない点、生意気な所やそう言われるだけの理由があったはずだ。でも当時は分からない、社長の家を調べて見に行った。仕返しじゃなく、こいつより絶対成功する!臥薪嘗胆や。

バブル崩壊

有休消化などという気にはならなかった、直ぐ働きたい、直ぐ稼ぎたいと思っていたので転職先企業に申し出て、即入社させてくれと言って1月1日付で入社。しかし、入社途端にバブル崩壊。大変だったけど、営業力はついた。マンションは数年前の2~3倍くらいの価格にまで値上がりしていたのが、毎月毎月昔の価格に向かって下がっていく、例えば売主様の認識では5,000万円で売れると思っている。しかし相場は4,000万円、しかものんびりしていると、もっともっと下がる。その説明をする事が営業マンの仕事、そして現実を伝え納得してもらう力を持ったものが数字を作れるという世界だった。(続く)