和田blog/1995
Memories of 1995
大震災
1995年1月17日阪神淡路大震災が発生。34才、自分もそろそろ腹決めて独立するかな。と思っていた頃、震災はとてつもなく、本当に衝撃的だった。
テレビで初めて見る惨劇、ヘリコプターに乗ったレポーターが、火の海と化した神戸の街を見下ろして、泣きながら中継していた。それを見て自分も大いに泣いてしまった。震度7、マグニチュード7.3、直下型地震だった。昨日までの普通の生活が一瞬にして消えてしまう。戦争の経験もなければ、身内や自分も大した不幸な経験をしたことがなかった。よし独立しよう!と決めたのも大震災の光景を目の当たりにした事が大きかった。
創業
弊社の創業は、25年前の1995年5月25日。百道浜の自宅マンションで個人事業主として「シーサイド住宅センター」の不動産業免許がおりた日だ。1995年、今ネットでもチェックしたけど、すごい年だったと思う。1991年に実質バブルが崩壊して、すべての事が右肩下がり、「一昨年より去年よりも今年は悪かった、でも来年はもっと悪くなるね。」と皆が言っていた。そんな中の独立だったから大変ではあったけど、何とかなるだろうとなぜか楽観的だった。いい時に始めるより、悪い時に始めた方がいいに決まっていると、自分に言い聞かせていた。
この年は震災のすぐ後の3月20日に、オウム真理教による地下鉄サリン同時多発テロが発生して多くの犠牲者が出ている。
更に、これも歴史的出来事と言えるウインドウズ95の発売。パーソナルコンピューターは特別な人が使うもの。という観念がこの時なくなって、庶民がPCを使い始めるきっかけになった。ここからインターネットが普及していき世の中がIT化の波にのまれていった。
独立する為に必要な資金は、宅建業免許の取得費用確か250万円くらい。これは何とか手持ち資金でいけた。あと目先の運転資金は国民金融公庫から500万円借りた。当時すでに3,000万円以上の住宅ローンを組んでいたので、その返済と管理費を合わせると年間240万円ほどになっていた。(当時金利は6%くらいだった。)子供二人と家内を食わせていかなくてはならない。サラリーマン時代の安定した収入はこれから一切ない。人脈もない。4年くらいしかない不動産経験。特別な仕入れルートがある訳じゃない。紹介ルートもない。やる事は一つ、投げ込み(ポスティング)をしてエンドユーザーの獲得のみ。
マンション自室の4畳半にボロいデスクと、複合機と家庭用電話機、ワープロと書棚を買ってスタート。ベッドは捨てて、寝るときは部屋の真ん中の小さなスペースに布団を敷き、机の下に足を突っ込んで寝ていた。ランチェスター理論を意識して先ずは百道浜で勝ちに行く、自分に課したノルマは毎週10,000枚の投げ込み。今思えば、あの時あるのは若さだけだったかな。(続く)