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和田blog/1995③

Memories of 1991-1995(創業前)

大手不動産仲介会社(上)

24時間戦えますか~ビジネスマーン♪ジャパニーズビジネスマーン♪というCMが流れていた頃、大企業ですら労働基準法など気にしていない時代だった。西新宿の本社を見てきた後だったので、新しい職場はどんなにインテリでお上品な会社なのかと思っていたが、少し違っていた。当時の九州支店は、天神の端っこの小さな雑居ビルにあった。新築部、仲介部や人事・総務など狭い事務所にひしめき合いそれこそ雑居状態、関東では既に150位の仲介店舗があったはずだけど、九州は進出してわずか数年くらいで拠点はここのみ。この頃から大手数社によって、地場の中小・零細企業を飲み込んで寡占化していく事になる。そして自分みたいな中途採用者が毎月どんどん入ってきていた。経験者、未経験者が入り乱れて営業していて、経験者の方が少なく今考えると結構我流で仕事をしていた。最初の1-2年目の目標は、月200万円­=年間2,400万円、3年目の目標は年間3,600万円、3年目の目標額はわずかに達成できなかったけど、20人くらいいた九州支店で一番になれた。当時は同業者との契約は不可、業者との個人的付き合いも厳しく見張られていた。何か不正に染まる事を懸念しての事。仕事は、個人的な紹介依頼と、あとはひたすら投げ込み(ポスティング)。売却の依頼すら取れれば勝てる。これは今もなお、不動産仲介業の基本。

契約する事が最終目的←その為には物件の現地案内←問い合わせを貰うための広告(住宅情報誌・新聞紙面帯広告・新聞折り込み・投げ込み)という様になる。折込みと投げ込み用のチラシは皆自分で作っていた。当時ワープロはあるけど、パソコンはない。なので、ワープロで打った文字を切ってのりで貼る、間取り図も一戸建などは方眼紙で作成していた。今と比べれば、チラシ制作に限らず作業の時間は2、3倍くらい掛かっていたと思う。

何時間も時間を割いてチラシを作る、これは絶対手を抜かない、性格的に1mm以下の歪みも許せないので、綺麗なものが仕上がる。当然反響率も上がる。そしてお預かりした物件をまた綺麗にチラシに載せて広告する。営業で常に目標にしていたのは、媒介契約締結後、活動報告義務がある二週間以内に決める事。そうすれば結果として報告書を書く手間が省ける。そうやっているうちに仕事が上手くなった。でもこれだけ効率を考えて仕事しても目標達成するには、時間がたりない。毎日21-22時くらいに仕事が終わりそれから帰り道に2,000枚くらい投げ込みしたり、飲み会が終わって日付が変わった頃、会社に忍び込んでチラシを印刷して深夜に投げ込みした。当時は自分だけじゃなくガッツがある奴らはみなやっていた。契約書や重要事項説明書を作るのも手書き、誤字脱字はカッコ悪いので何度も書き換えて朝方まで掛かった事もあった。ブラック企業などという言葉はなかった。確か隔週休2日制だったけど、二日休める事は余程の事情がないと無理。前職の自動車も水曜日休みだったので、子供たちと日曜日に遊んだ経験がない。独立後に少しはあったけど。自分を残して家内と子供2人の三人旅行が定番になっていた。

夢がある若者は考えて欲しい。当時既にフレックスタイム制など世間にはあって、時短やゆとり(?)に向かう風潮もあった。最近お会いしたベンチャー企業の社長の受売りの言葉だけど、草野球をしたい人は楽しめばいい。甲子園を目指す人は、沢山の事を犠牲にしないと目標は達せられない。価値観が多様化している今、選択は自分自身ですればいい。(続く)


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