和田blog/1995⑬最終話
Memories of 1995 (これからの事)
しくじり先生
令和元年5月、東京の事務所は平成が終わる4月いっぱいで畳んで福岡本社にもどった。もしこれが支店ではなく起業だったとしたら倒産廃業という事だ。敗因は土地勘のなさや地域の歴史や商習慣に疎かった事、創業時35歳の自分と比べてハングリーさの不足などと思う。その月に売上が無くても会社の一部署としてなら食える。起業なら売上が無いイコール死を意味するのだから。
時代は変わった
私が独立した頃のように不動産のビジネスは単純じゃない。今はコミュニケーション能力が高くて体力や根性があるだけでは、起業して成功するのはかなりハードルが高い。営業会社でトップセールスだった位では難しいだろう。仮に一人で食えたとしても入社してくる社員に再現させることは更に難しい。今は、地あたまが良い等は当り前の事として、企業ブランディング、自己ブランディング、SNS活用やその他どんどん出てくる新しいITツールを生かしたマーケティングを行う感覚や、それらを実行する力が無いと成功は本当に難しいと思う。
金も人脈もない状態でスタートした弊社は今年25周年を迎えた。福岡でも東京でも同じような失敗を繰返してきた自分はとても成功者とは言えない。10年前に比べると弊社は、人員・店舗数、売上もずっと少ない。現在営業の正社員スタッフは・ベテラン・中堅・中途採用者(4月入社)・新卒者(同左)の4人。全員素直で、他責思考が非常に少なく生き生きとして頑張ってくれている。以前より規模が小さくても少数精鋭で向上心とやる気に溢れるいい組織だと思っている。私が独立したのは35歳、4人の平均年齢は34歳、一人ひとりが覚悟を決めて本気でやれば、5年後10年後とかには、一廉(ひとかど)の成果が上げられると思う。各々がトップ志向を持ち、社内でそれぞれが社長になって組織を作る事を目指す。今、一人ひとりが「社内創業」を目指してくれたら面白い。失敗だらけの自分の経験が大きく役に立つはずだ。そういう形で動き出してこそ「第二創業」と言えるのではないか。
俺たちは野武士集団、誰かに何かして貰うという思考でなく、試行錯誤して自分たちの力で切り開いて大きな目標を取りに行きたい。
これからの事
なぜ今頃この様な振り返りのブログを書いたかと言うと、齢60の節目であり、そう遠くない将来に誰かがこの会社を引き継ぐ事になるだろう。その前に、自分がこの会社の創業者としてどんな思いで働いてきたかを知って貰いたかった。その上で、この先の方向性を皆で模索しながら進む。未熟な自分も組織と共にレベルアップして、月並みだけど顧客満足度と社員満足度を上げる。少数精鋭でやる以上、社員一人ひとりの絶対的収入アップも目指していくつもりだ。
今までの自分は人と競争したり、比べてばかりいた。勝ったら喜んで負けては落ち込む。これも大切な事だけど、最近は年のせいか必ずしも人と比べたり競争する事は重要ではないと思うようになった。人と比較する事は愚かで、人にはそれぞれ一定の社会的役割分担があって、自分に与えられた今の役割を遂行する事が大切だと思う。今の自分の役割は、世の中から愛され必要とされる盤石とした会社をつくり次の世代にバトンを渡す事だ。すべての人が勝つことはないし、全ての人が負ける事もない。もし競争するなら昨日の自分とにする。
そして今後は、独立するための道場のような会社にはしないつもりだ。会社に籍を置く限り会社の繁栄のために心を燃やして欲しい。それが自身の経済的、人間的成長にも繋がる近道だと信じている。本気の人には会社としてしっかり応援し経済的バックアップも考える。前向きな事なら何でもチャレンジしていいし、自立心がある大人の集団、他に無いようなカッコイイ集団にしたいと思っている。
ここで終わる訳じゃないけど、弊社と関わりがあった方々、辞めていった社員たち、創業から支えてきてくれた家内と家族、もちろん今いる全スタッフに感謝する。
遠回りしてきたけど「人生において無駄な事は無い。」と信じて、まだまだチェレンジは続けます!(おわり)