和田blog/1995⑨
Memories of 1995 (創業から10~20年くらい)
人材
福岡市の早良区、西区界隈では少しは名前が知れてきたかなと言うくらいの時期、同業の大手から優秀な営業マンが何人か入ってきた。彼らは皆明るくて「人たらし」かつ抜群の営業センスの持ち主だった。そんな奴らがぐんぐん会社を引っ張って行ってくれた。同業者からは「絶対にシーサイドとは競合したくない。」とか言われる事もあった。人が売り上げを作ってくれる、彼らの紹介で何人かの人も採用した。様々なタイプの人材が入社してきて、皆が楽しく働いてくれる職場環境を模索した。会社近所の安酒場だけどスタッフとほぼ毎日楽しく飲んだ。海外に社員旅行に行ったリ、休日はサーフィンして遊んだ事も。また誕生日には男性はネクタイ、女性には小物などをプレゼントして自分なりに部下を思い、居心地がいい楽しい会社を目指していた。でもある事がきっかけでそれらの事はやめてしまった。楽しいだけでは優れた会社にはなれない。中途半端な楽しさは甘えが生じ、事故が起きたり不正の温床になる。職場は遊び場ではなく、利益を上げ、そこにいる各々が成長し自己実現するための場所なのだ。ワンチームで切磋琢磨して各自の目標を達成する。その先で思いっきり楽しんだ方がいいと今は思っている。
但しこの時期、属人的組織では良くないとう危機感はあったので、人力に頼らずとも仕組みで集客する事を目指していた。(実際今も同じ課題を抱えているが)普通の能力の人がそれなりに頑張れば、必ず成果が上がる仕組みを作りたい、と試行錯誤していた。会社のブランドの確立を考えて九州大学と「産学共同研究」という形で、会社が向かう方向性を明確にしたり、集客が出来るチラシデザインのコンセプトを考えたりいわゆる「ブランディング」を行った。民間のデザイン会社を経営していた教授の話はセンスが良く楽しく、また厳しくすごく為になった。確か自分が40代後半の頃、東京に支店を出したい旨の相談をしたら「組織がなってない、今はダメだ。」と叱られた事を思い出す。教授には弊社のふわふわとした時代に色々と学ばせてもらって感謝している。
東京進出
弊社所有二棟目のマンション「愛宕レジデンス」の地鎮祭も無事終わり、会社は正社員とパートさん、当時研修生もいたので合わせると20人近くの組織になっていた。少し経営が安定したかなと思えた時期、数年前に教授に叱られたけど自分も既に52才、東京進出は今しかないと思って行動に移した。さて決めたのはいいが、どうしよう?事務所の場所、事業形態は?自分が出来る事は、不動産仲介しかない。とにかく福岡で起業してゼロから出来たのだから、東京でも絶対に上手くいくと信じた。もちろん中途半端な覚悟ではだめなので、独立当時の事を思い出しながら気合を入れた。やる事はやっぱり福岡と同じく高級エリアの売買仲介と、富裕層相手の賃貸管理など。ここまでは決めたけど、出張以外で東京に行ったことが無いから土地勘がない。そこで、当時既に親しくさせて貰っていた「株式会社いい生活」COO北澤氏に相談すると、いい生活本社がある麻布地区がいいとの事。事務所を借りるにあたり北澤氏に紹介してもらった不動産会社「ジェイ・ネットワーク株式会社」石井社長も北澤氏同様、めちゃくちゃ男気があって福岡に戻るまでお世話になりっぱなしだった。本当に感謝している。ということで、六本木ヒルズから歩いて2分西麻布3丁目に事務所を構えた。この物件にした理由は、おしゃれなデザイナーズ物件で家賃は少し高いけど、写真映えするので広告代と思って契約した。1LDKで24万円くらい(今は相場が上がっている)SOHO可能物件だったので、そこに住んでスタート。小さな空間だったけど、ル・コルビュジエのガラステーブルとチェア、友人が責任者をしている有名店舗デザイン会社に依頼して、フルオーダーした二台の机と事務用収納棚も造り付けにした。K頑張ってくれてありがとう!そういえば外国人のお客さんが来る事を想定して30cmくらいのスリッパも用意したな~。新天地でスタートだ!(続く)
2011.8 愛宕レジデンス地鎮祭
東京麻布支店
支店内からの眺望