和田blog/1995⑧
Memories of 1995 (創業から5~10年くらい)
目標
1995年の創業時に立てた目標があった。10年以内に福岡市内及びその近郊に5店舗(百道・天神・大橋・香椎・前原市)の開設と自社ビルを持つ。年商5億円、取扱高は100億円。その他にも大学ノートにいろいろと殴り書きをしていた。当時地場の不動産仲介会社で店舗展開している会社がなかったので、自分がたくさんの社員を雇って先駆者になってみたいと思っていた。まず事務所を1Kのマンションから路面店舗に移した。人材も常時募集をした。当時はなるべく未経験者で業界に染まっていない人を求めて、中途も新卒者も採用した。出来る人、出来ない人、海千山千も入ってくる。人を確保できても売上を一人前に上げられる様になるまで、人にもよるが3年くらいかかる。こちらとしては直ぐに結果を求めてしまうし、自分がやってきた事や自分が出来た事だから社員も出来るはず。と、そんな価値観を押し付けてしまっていた。夢があったし、それを部下に熱く語ってもなぜか全然響かない。因みにその頃の2000年代前半、ベンチャー起業家が上場するというブームがあって、そういう人たちに学ぶ勉強会が東京で開催されていた。サイバーエージェントやGMO、グッドウィルその他の経営者の話を聞きに何度となく通っていた。
「何でこんな事もわからんとや?!」「なんで言ったことが出来んと?」「どうして約束が守れんとや?!」部下に対してよくこんな事を言っていた。今ならパワハラです。これを乗り越えた先に然るべき未来が待っていると信じていたから自分は真剣だったし、愛情もあったつもりだった。でも全く思う様にいかない。社員の定着率も低いし、いい人材もいたのに育てきれない。結局よく考えてみれば「そんな事も分からんかった。」のは俺の方だった。今なら分かるが社員と創業社長、価値観も意識やベクトルも違うに決まっているのに、自分の価値観ばかりを正しいと信じて押し付けていた。それに気づいたのはそのずっと後の事。いまだに人の指導は苦手だ。
一つだけ達成できた事
創業時立てた目標はまったく実らず、夢のまた夢。でもただ一つだけ叶える事が出来たものがある。「10年以内に自社ビルを持つ」創業から9年3ヶ月目、西新に9階建ての1K・24世帯のマンションを建てる事ができた。当初は一階に事務所を移転するつもりだったけど、諸般の事情により断念。友人で同業者のYが土地の情報を持ってきてくれて、建物は今では親友でもあるCASE一ノ瀬建築士が設計デザイン。その頃流行りだしていたSOHO(住居兼スモールオフィス)に対応できる仕様、洗練されたデザインは今も健在で、常時満室経営できている。総工費2億数千万円、自己資金も数千万円入れた。融資は福岡の地銀には断られたが、佐賀の地銀に少し金利は高かったけど、なんとか承認をしてもらった。でも当時の税理士は建設に反対した。自分は利回りが少し悪くても社員の士気の為、自分自身の夢の為に絶対に譲らなかった。何も持っていない自分が初めて何かを達成できた事は本当に嬉しかった。Y、銀行さん、一ノ瀬に感謝したい。地鎮祭の時父母、兄たちもすごく喜んでくれた。母は涙ぐんで「これからも調子に乗らんでしっかり頑張りなさい。」と言ってくれた。建物が完成して入居も完了した時期、飲み会が終わって帰る途中にマンションの近くでタクシーを降り、ライトアップされているマンションのサインを何度となくぼーと眺めたものだった。(続く)
何度か取材も受けた。
施工会社の黒木建設 黒木社長
これがご縁で今も仲良し(^-^)
何かの儀式やったと思う。