和田blog/1995⑦
Memories of 1995 (創業から2~5年くらい)
激戦区
1996年10月4日。創業から1年5ヶ月後なんとか法人に成り、同時期にオフィス入居可のマンションに事務所を構えた。やっとスタート地点に立てた。とにかく百道浜で勝つ!物件価格が高くステータス性も高い羨望の地、数年前に出来上がったウオーターフロントの街。リゾート地の様でもあり、放送局やインテリジェントビルが立ち並ぶ美しい街。東京でいえばお台場のような雰囲気。住んでいたから分かるけど、毎日毎日10-20社くらいの同業者のチラシが入る。福岡で一番の不動産激戦地で勝負する。身震いするほどの緊張感で気合が入った。相変わらずポスティングがメインで、必死でこだわりのチラシを作っては投げ込んでいだ。当時大手のチラシも前に書いたとおり営業マンが手作りしていたから酷い物が多かった。歪んでいたり、何度もコピーした汚い図面を使っていたりで、チラシのクオリティで圧倒的にうちは勝っていたと思う。ある日電通の広告マンが「このチラシを作っている奴に会いたい。」と言っての突然訪ねてきた事があった。それくらい頑張っていた。デザインの本を買ったり街中にある看板とかポスター等も興味をもって眺めていた。
競合
株式会社になったし1Kだけど事務所もある。反響も入りだした。競合はいつも古巣を含む大手2、3社。負けることもあったけど、半分くらいは勝っていた。その頃大手には賃貸管理部門が無かった(福岡地区の話)ので、売るか貸すか迷っているお客様にはうちに依頼すれば賃貸募集も売却活動と同時に出来ます。という言葉を武器に専任媒介契約をとっていった。余談だが賃貸は他社のやり方を見様見真似でやっていたけど、地場の賃貸管理の老舗企業の跡継ぎのT君(現在は社長)が色々とノウハウを教えてくれた。時にはライバルになる事もあるのに惜しみなく教えてくれた事に本当に感謝している。早くから賃貸管理事業をスタートさせたお陰で、浮き沈みが多い売買仲介事業の安定化に寄与した。ついでに言うと、古巣の後輩のYからも自分が知らない不動産や建築の知識を色々と教わった。彼にもありがとう!その頃、百道浜地区だけを見たら弊社が一番多くお客さまから物件を預かっていた。ちょっとした達成感があった。しかしいい事は長く続かなかった。ライバル会社から物凄い誹謗中傷に合う。査定現場で私と社員のありとあらゆる悪口を言われるようになった。既に新卒含む数名の社員がいたけど、お客様は数名でやっている零細企業より全国規模の会社の社員のいう事を信じてしまった。これにより本当に売上げ落ちていった。名誉棄損で訴える事が出来るレベルの内容だ。でもすべてを我慢した。神様は見ているはずだ、言い返せばこちらの価値が下がる。この時男の嫉妬の凄さを思い知らされた。(続く)