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和田blog/1995⑥

Memories of 1995(創業から4,5ヶ月)

資金ショート

1995年秋頃、お金が底をついた。実家に行って「オヤジ~悪いけどお金貸してくれんかね?300万円くらい。」すると予想に反して「なんて言いようとか、お前は!家族もおるとに勝手に会社辞めて商売やら始めやがって、そんなならさっさとやめっしまえ!」と。おー怒られた・・・・

創業から4、5ヶ月目くらいの頃の出来事。少しずつ契約は入ってきたけど、手数料は3ヶ月くらい先にしか貰えない。当時物件に対する融資は、住宅金融公庫が殆どで今とは事情が違う。多分頼めば貸してくれるやろう~兄貴たちに比べれば俺は金銭的に一度も迷惑かけていなかったし、実家は金持ちじゃないけどそのくらいの余裕はあるだろう、何より自分を信じて応援してくれるに違いないと勝手に思い込んでいた。なんと甘ちゃんな事か(^-^;)

創業時にお世話になった地銀に相談するもNG。話が出来そうな銀行は片っ端からまわったが全て断り。売買は成立していて間もなくお金が入ってくるのだから、と契約書や媒介契約書を証拠として見せてもダメだった。自営業の先輩に相談したら、「信金なら大丈夫かもよ、俺も借りれたので紹介してやる。」ありがとう!先輩!

面談の日、自分より少し年上の担当者は無表情に「この状態でお金を貸す様な金融機関などありません。どこかよそに行って下さい。」面談は5分で終わった。会社ではないが、黒字倒産・・・どうしようか・・売って金に換えられるものなど持ってないし。そこで、又しても甘えた話だが、今度は母に泣きついた。前回はまだカッコつけていたけど、今回は真剣にお願いした。母は「お父さんとの共同名義の家を担保にしていいから、自分でお金を借りなさい。」と。これで何とか窮地は凌げた。当時は、父を逆恨みした。母は優しいと思った。でも今は父にも感謝している。もし今、子供が同じ事を言ってきたら同じように断るだろう。人間何も頼れるものが無い環境こそが、強く成長できる原動力なのだ。今はいない父母の深い愛情に感謝している。人にはすべてゼロからやりました。などと言っているが、この件で両親に迷惑を掛けているのだ。もちろん担保提供だけなので、お金はもらってない。この時に誓った、もう絶対に誰にも頼らない!分かっていたつもりでも本当に自力でやらないと助けてくれる者などいないと分かった。幸いその後は誰にも迷惑を掛けていない。そして、この事件の一年後の1996年10月4日なんとか1000万円作って株式会社を設立した。たかが法人になっただけだ。でも嬉しかった。(続く)

 

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