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和田blog/1995④

Memories of 1991-1995(創業前)

 

大手不動産仲介会社(下)

不動産仲介の契約をするたびに、大げさだけど至福の喜びと達成感があった。当時は基本、個人の売主様のご自宅などが対象物件で、購入者も個人。普通売る側は少しでも高く売りたいし、買う側はできれば値切ってでも安く買いたいと思う。その調整役を、我々仲介営業マンが請け負う。双方正反対のスタートの商談も契約する時にはどちらも納得してくれて、有難うの言葉を頂けることもしばしば。お互いの希望価格の中間で契約していてもどちらも「高く売れた。」「安く買う事が出来た!」と喜んでくれる。自分はアプローチブックに地価公示価格の推移や、日銀短観、日経新聞やその他の新聞、住宅情報誌の切り抜きなどを入れていた。一つの経済なのに、ある記事によると悲観的に書かれていて、今後も経済が悪くなるだろう。(だから早く売った方がいいかもしれないと思う)別の記事によると、楽観論が書かれていたりする。(また値上がりするととても買えないかも)それらを使い分けながら、納得して頂く。嘘をついている訳じゃないし、殆どの人は大きな決断をするのに背中を押してくれる材料を求めているのだ。それをはっきり視覚から感じてもらう。そんな感じでよく決まっていくし仕事は大好きだった。仕事量と知恵に比例して売上が伸びると信じて働いていた。

 

何か足りない

少し仕事ができ始めると、生意気にも物足りなさを感じるようになった。一番は、同じ会社なのに他地域は歩合給制で九州は完全固定給制。入社の時は未経験なので固定給が有難いと思っていたのに調子のいい話だ。もっと売りたい、もっと大きな仕事がしたい、そして稼ぎたい。と思うようになっていた。漠然とした夢はあった。ダサくて死語かもしれんが「ビックになりたい」的な感覚。でもそれを真剣に考えたこともなく、どうすればいいか分からなかった。取りあえず考えた挙句「そうや、東京に行こう!転勤させて貰おう。」と思った。西新宿で見た超高層ビル、福岡のマンションはそこそこの物件でも当時4,000万円程度が主流だった。東京は1億前後の物が普通に売れていると聞く。さっそく上司に異動のお願いをしたが、即却下。半年後もう一度、今度は前回よりも必死で訴えたけどやっぱり却下。耳障りのいい言葉で慰留された。なんだかな~ っていう感じになって、気合が入らん。この仕事はある意味労働集約型と思っていたので、モチベーションが落ちると売上の維持も難しいかもな、と思う様になってきた。今のようにITを駆使して、レバレッジを掛けることで大きな成果を上げるなど出来ない。それなら東京勤務前提の会社に転職すれば良かったけど、その度胸も発想もなかった。

 

スカウト

そんな時、友人が経営している会社から声が掛かった。「会社を大きくするのを手伝ってくれんや?」と。誘ってくれたのは二度目だったし、渡りに船とばかりに快諾した。しかし、違った。詳しくは書かないけど、誰かが悪いとかじゃなく違っていたのだ。もう後がない、独立しかない。1995年春。はらをくくった。最初に書いた通り、金も人脈もないスタートだ。(続く)

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