平和を想う

安保法案や平和祈念式典での発言が物議を醸していますが、ここで平和についてもう一度考えてみたいと思いました。

話を聞く

大学時代の授業の一環として、戦争時代の話の聞き取りと、聞き取りした内容を録音したものを文字に起こす、という作業をしたことがあります。

私が話を聞いたのは祖母でした。

普段はそんな話をする機会はなかったし、終戦の時まだ小学生くらいだった祖母。

そんな祖母から聞いた話は、今までどこか遠いものとして、ひたすら悲惨で、苦しみを伴う恐ろしい出来事としか思っていなかった戦争をよりリアルに感じさせる内容でした。

 

祖母の話

祖母の出身は鹿児島市、旧金峰町(現南さつま市)です。

都市部の配給制で食力不足が深刻な話は聞いたことがありますが、祖母の所は自分たちで作っていて供出する側でしたので、自分たちの分は屋根裏に隠したりして確保していたそうです。

なので、そこまでひもじい思いはしていなかったとのこと。

また、運動場で訓練している様子を教室から眺めていた話、戦後に引き上げてきた兵隊さんが川の水とドラム缶でお風呂に入っていた話、祖母の母が食事などよくしてくれていたので、台所のにおいに誘われて集まってきていた話、などいろいろ聞くことが出来ました。

 

空襲や疎開、特攻、原爆…戦争のそういった部分ばかりに目が行きがちですが、当然、人々の当たり前の生活があることは今と全然変わらないんだなと思いました。

だからこそ、その当たり前を奪う戦争は許せないです。

 

鹿児島と言えば、特攻隊が飛び立った知覧飛行場が有名ですが、祖母の話の中で別の飛行場の話が出てきます。

日本三大砂丘としても知られる「吹上浜」、そこにあった「万世飛行場」です。

祖母はまだ小さかったのでその飛行場の建設などに関わることはありませんでしたが、建設中に人が亡くなった話など聞いていたそうです。

今は吹上浜海浜公園などになっておりその面影はありませんが、ここでも何人もの特攻隊の方が沖縄へ飛び立っていったそうです。

南さつま市加世田高橋には「万世特攻平和祈念館」があり、日本にただ1機、吹上沖で引き揚げられたの零式の飛行機が展示されているほか、特攻隊の方の遺品や遺書も展示されています。

以前、親族の法事で鹿児島に帰った祖母が「いつか一緒に行きたいね」と言っていたのはてっきり知覧だと思っていたのですが、違ったようです。

 

零式三座水上偵察機

 

また、亡くなった祖父の話も聞くことが出来ました。

祖父は北九州、八幡に住んでいましたので、食べ物が全然なかったそうです。

とてもひもじかったそうなので、「お前は食べ物がたくさんあったからあんなひもじい思いはしらんだろう」とよく言われたそうです。

学校の昼の時間は食べるものがないので、他の人が食べている間は外で遊んでいたそうです。

クラスメイトからカボチャをもらい、それを鉄兜で煮て食べたことがあるそうで、祖父はその思い出からカボチャがきらいでした。

ほかにも、親に内緒で兵隊の試験を受けたら、体が弱くて不合格になり、お母さんに受けたことがばれ怒られたりしたそうです。

 

その時は「授業の一環」ということで話を聞かせてもらったのですが、きっと話しづらいことも話してくれたのだと思います。

話しぶりはいつもの明るく優しい祖母でしたが、きっとこのような機会がなければ、こういった話を聞く機会はおそらくなかったでしょう。

誰にも語られることなく、消えて行った戦争の話は、ずっとずっとたくさんあるのだと思います。

本当は、その時を生きて生活していた人の数だけ戦争の話はあるはずなんですよね。

 

 

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